衆生の心汚がるれば土も汚れ、心清ければ土も清しとて浄土といい、穢土というも土に二つの隔てなし。ただ我らが心の善悪によると見えたり。

(このコラムは、平成26年元旦に住職が書かれたものを掲載しました。)


日蓮大聖人のお言葉
「衆生の心汚がるれば土も汚れ心清ければ土も清しとて浄土といい 穢土というも土に二つの隔てなし ただ我らが心の善悪による と見えたり 」 
                    『日蓮大聖人 一生成仏抄』より



昨年の流行語の中に「倍返し!」の言葉があった。流行語の元となった、かのドラマを見ていた人にはわかるかもしれないが、実に強いインパクトで「倍返しだぁ!」と怒るシーンがある。

もっぱら倍にして「仕返し」をするという意味に置き換えて使われたようだ。
そもそもこの言葉は怒りながら使う言葉ではないはずなのだが、如何せん言葉の表面だけを都合よく使われる事が嘆かわしく思う。

広辞苑によれば、受け取ったものに対して倍額に相当するものを返す事。祝儀には倍返し。不祝儀には半返しとある。いわゆる頂いた恩や義に対してそれ以上の感謝、御礼をする事に本来この言葉の使われ方があるのだが、ドラマの背景が 「仕返し」ではなく、「感謝」の本義で「倍返しでお礼をお持ちしましたのでどうぞご遠慮なく受け取ってください」と言うような内容で流行になってもらいたかったものだ。

そんな中、滝川クリステルさんの「おもてなし」は実に感銘を受けた。特筆すべきはやはりあの合掌の姿だ。「おもてなし」は心の振る舞いであるから、他者へ対して敬愛の念を、内なる心から表す為に、言葉以上に身を以て伝える事ができる唯一の姿、それが仏教が伝え教える合掌だからだ。

合掌はお釈迦様の姿。人として美しい心の姿と教えられている。
日蓮大聖人のお言葉を考えさせられる。
「倍返し」この言葉にも二つの隔てはなく、心の持ち方でまったく意味の異なる結果となるのだ。

心の内を清らかにしてくれるお題目と合掌の姿。
これ、いつするの?「今でしょう!」
そう言えば、NHKの朝ドラ『あまちゃん』に出演した、魚クン「ぎょぎょぎょ!」は惜しい!。『あまちゃん』の「じぇじぇじぇ」よりも先にアピールしていれば良かったのにね。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2017年10月06日