平成29年歳末30年迎春の大祭を終えて

今年は、前年と比べ早い時期から境内の蓮鉢の水が凍り、寒波の年暮れと言う予報でした。

しかしながら今回の大晦日は、朝から雨雲が広がり降雨でしたがご本尊様、諸佛諸天善神様の妙力なるご加護を賜り、午後十時開始の読経を済ませますと煌々と輝く月天子様が顕れ、終始にわたり良いようにして頂きました。


これもひとえに佛天のご加護を賜り天候の変化に救われ、月天子、明星天子の輝きの下で、大祭を行えた事に深く諸佛諸天善神のご加護に感謝報恩の誠を捧げます。
また大祭行事全般に渡り行事の準備および後片付けを行って頂いた役員をはじめ、行事へ参加申し込みを頂いた有志の妙蔵寺の檀信徒方、お手伝い頂いた奉仕の檀信徒に心から感謝の意を表します。

今年は、朝から断続的な降雨にも関わらず、参詣者はのべ約300人以上の人々で境内を埋め尽くした。年々大勢の方にお参りいただきハズレくじ無しの福引景品も400個以上を用意していたが危うく残り60個を切っていた事に冷や冷やした。今回は特等賞から4等までの目玉福引景品は全て出払ったのでこれが一番嬉しい。残ってしまうと後味悪くどうもうまくない。

そして今回は、天候を気にかけていたが何時にない暖かい夜ともなり、大勢の人々に楽しんでいただいた事が何より嬉しかった。

「笑う門に福来り」先人はこう教える。年の始まりに笑顔になる事、なれる事はとても大事だ。私はいつも来山者に「笑顔は幸せの鍵。笑いは幸せの掛け声」であると人々に伝えているが、これは幸せになるための仏教の教えの根本でもある。そしてそれを得るために必要な事が、どのような事にも幸せだなぁと感じる事ができる「感受性豊かな柔らかい心」だ。この大祭を通して大勢の人々にそんな切っ掛けに繋がるものを布施していきたいと思う。

今では「何時もこの日を楽しみにしています」と言って下さる参詣者の方が大勢いる。妙蔵寺の歴史を辿れば、地域の方々や大勢の人々に施しを行っていたという記録が今も残されている。戦後、この事が行われないでいたが、こうして今、行事を支えてくれる有志の力があって、心の伝統が蘇ることができたという事は実にありがたい。ここ近年、私は法要が終わると、台所の裏方で、おそばを用意したりお酒やココアを温めたりとココは譲れない!という想いにさせられる。

そして今年の水行参加者は、住職を含め10人の行者で奉修した。

何時もつくづく思う事がある。それは、この修行を見護っていただく大衆の善男士、善女人と共に、水行を修める者、見護る者、それぞれが同じ思いで尊い修行を一所同心で行ったのだと言う事だ。

今年は、刈谷から2人の若い島田行者と橋本行者が駆けつけてきてくれて、この水行に挑んだ。本人たちは、「何か気合が入る修行をしたかった」と口を揃えて逞しい眼差しで語る。人柄も実に男意気のある立派な青年だ。

今回は、男性2名、女性1名の北川居士、寺地居士、川﨑大姉がこの妙蔵寺の大晦日の日に、10年間続けて節目となる第10回目の水行成満を果たした。10年と言うと簡単に聞こえるが、決して短くはない。とても立派な節目の年月である。この10年間、「やり続ける」という本人たちの意志と実行力が「やり続けた」という立派な結果を手に入れた事と思う。この10年をご自身たちで振り返れば、大きく強く成長したことに実感を味わう事ができるであろう。そして何よりもその修行からは、精神が丸く輝き、謙虚さを得て行者としての「聖」の精神を、眼に見えない衣(ころも)として、言い方を変えればまるでオーラ―をまとうほどまでに成長したことと思う。
本人たちからみなぎる「気」が、当初と比べればとても違う。
本人たちは「還暦までやります。」と更なる自身の向上を目指す決意を口にした。当山からこの勇ましく立派な行者たちに相応しい大きく上質な本水晶の数珠を記念品として贈呈した。この数珠の輝きにも劣らない精神を磨き上げていってもらいたいと切に願う。

大晦日の水行も、平成15年12月31日にはじめて以来、今回で15回目となり、振り返ればその間に自分と向き合おうと真剣な志で水行に挑んできた大勢の人々がいる。
参加してきた行者たちの多くは、不思議と「次回もまたやりたいです」と早くに予約を受ける。理由を聞くと「ここで水行をやってからか不思議と調子が良いんですよ」とご加護を実感していると言う。この寺の山号は、「具徳山」という由来もあり、徳が具わる霊場として行者がこの徳を身に修めることができたのであろう。
ここ近年は、水行を行う場所が狭すぎて参加人数の制限をしているほどだ。時間的都合もあり、なんとかならないものかと頭を抱えている。


水行を終えた控室では、昨年5回を成満し今回6回目の伊藤行者が、初参加した行者に「もうやめれんよ」と微笑んで口にされた。伊藤行者は、自らの専用の水行桶を用意し桶書きを住職に依頼して水行に挑むほどの力の入り様。水行に参加される以前までは、何度か声をかけた時に笑みを浮かべながら「心臓とまっちまいますよ」と言っていた日の事がまるでウソのようだ。今ではすっかり風格も住職顔負けの立派な姿だ。

前年に初参加された坪井行者も、昨年5回を終えた奥山行者も還暦まで行いたいと強い意志を表され挑んだ。

2年前に10回を終え、親子で参加し母親よりも早くにこの水行に挑んで、今回で12回目の川﨑居士も、もうずいぶん慣れたものだ。余裕の構えが男らしく特に良い。

参加者一人一人がいつの間にか、住職よりも熱の入り様が行者たちの方が篤く感じる。私も初心を忘れず己の志しをもっと大きく持っていきたい。


昨年、この寺で水行を行った弟子の雄翔は、いま総本山で修行を行っている。ちょうど1月20日から大寒に入り寒行が始まった。修行の「行」には、それを見つめる「学」が必要である。「学」とはただ単に学校の勉強というものだけではない。無論それも大事であるが、大切な事は「学ぼうとする」という行いで、自らの「修行」や「体験」を通して自己を振り返り見つめる事である。「学ぶ」ためには自ずと「知や智」が必要となってくるのだ。そしてその中から修めたもののなかに「覚り」たる佛の光明に気が付く「気づき」を得るのである。であるから日蓮大聖人様は「行学の二道を励むべし」と弟子たちに教えられたのだ。彼もまた頑張ってもらいたい。

求道求法の精進を忘れぬ行者達には、御本佛様の大慈大悲の御加護と法華経の功徳力が現前せられることを。
南無妙法蓮華経

合掌稽首

太 田 日 瓏




大祭風景
※写真をクリックすると文字が重ならず見る事ができます



(写真の手は、コラムに書かれている住職の御子息でお弟子さんでもある太田雄翔(ゆうと)君の手です。総本山久遠寺での厳しい修行生活によって酷いあかぎれをおこしてしまいます。平成30年1月6日に住職が撮影されたものですが、この時は12月上旬の時よりも少し良くなっていたそうです。しかし現在は、寒中修行が始まり寒い夜間に久遠寺から総門までの距離をうちわ太鼓片手に大きな声でお題目(南無妙法蓮華経)を唱えて往復2時間歩く修行でまた状態は悪化しているそうです。声もかれてしまい喉の痛みもあるとの事です。

写真=身延山高等学校新聞『法灯』より
身延山高等学校Facebook

 

先日届いた「くらしのニュース」を読んで、太田住職に総本山久遠寺での修行について少し聞いてみました。


太田住職「総本山身延山久遠寺の本院寮では、大人でも辛く本格的で厳しくも尊い修行が行う事ができるが、しかしその志願する者は、毎年ごくわずかな人数しかいません。高校1年生から大学4年生までの学僧がいます。」


Q.「なぜ雄翔君は、総本山久遠寺で修行しようと思ったのですか?」


太田住職「本人が高校進路を決める時に身延山高等学校を選び、総本山久遠寺に入り修行をしてきたいと言いました。私も久遠寺で修行を6年間(当時最長期間)行っていましたが、とにかく厳しくて逃げ出す者が続出で後が絶えませんでした。しかし総本山は日蓮宗僧侶を志す者にとってこれ以上にふさわしい修行の聖地はありません。
日蓮宗の僧侶の資格をいただくための三十五日の結界に入り修行を行う信行道場という場所での修行が身延山で行われますが、それだけでは不足すぎて駄目なのです。
日蓮大聖人様が9年間お過ごしになられた晩年ご安住の聖地には、未来までも魂は身延山に住んでいると仰せになられた随所であり、身延山の空気、山の聲、川の音、日蓮大聖人様ご在世当時からそびえたつ木々、そこに生きる命の輝き、そうした特別な環境に身を置きながら久遠寺での厳粛な法要、読経を行い、それらすべてのものに長期間にわたって修行をしながら触れ、感じる必要があるのですが建物に籠りっきりの信行道場だけでは全てが不足なのです。
私は、日蓮宗僧侶を志す全ての者は、総本山久遠寺に衣食住を置き修行生活を最低でも3年~5年以上過ごす事を宗門が必須としなければならないと個人的に感じています。総本山久遠寺内で修行を行う学僧のことを在院生=(ざいいんせい)と呼び、本院寮で早朝から夜21時30分まで自由時間が無く修行生活をしながら平日の日中(お昼時間以外)は、学校で勉学に励み生活をします。最長7年間の修行に耐えねばなりません。」とのこと。


現在、雄翔君は16才で新入生です。在院生の修行の厳しさがひしひしと伝わってきます。身延山久遠寺で修行を志したい人は、住職へ相談を持ちかけてみては?)


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2018年01月25日