我門家は夜は眠りを断ち、昼は暇を止めて之れを案ぜよ。一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ

(このコラムは、平成30年元旦に届いた住職からのお葉書を掲載しました。)

「我門家(わがもんけ)は夜は眠りを断ち、昼は暇(いとま)を止めて之れを案ぜよ。一生空(むな)しく過して万歳悔(ばんざいく)ゆること勿(なか)れ。」
                   『日蓮大聖人 富木殿御書より』




 右の御文は、日蓮大聖人様が檀越であった富木常忍へ宛てたお手紙の文末にお書きになられたお言葉です。
このお言葉をお書き残された文中の意図は、何が正しくて何がいけないのか。何をすべき事かを昼夜考えて行動を起こす事が大事であると教示されたお言葉です。御文章をそのまま読むと誤解を受けやすいお言葉ですが、決して一睡も寝ないで夜を過ごし、休憩もせずに昼間働き続けなさいという事ではありません。日々常に今なすべき事を考えて実行し、悔いを残さない人生を送りなさいとおっしゃっているのです。

 先月、総本山の身延山久遠寺へ弟子の雄翔に面会をしてきました。彼の手は日々の修行生活によって酷いあかぎれとなり血だらけでした。それを見てかつて自分も同じように十五才の時に総本山で修行をしていた昔、師匠とのとある思い出が蘇ってきました。短い冬のお休みを総本山から頂戴し、師匠の元へ帰省した時の事、、北海道の極寒のなか暖房をつけず、自分が米とぎを行っていた時に、師匠に「代われ」と言われ「精進と言う言葉がなぜ、米に青いという字に進むと書くか知っているか?」と、凍てつく冷たい水に手を真っ赤に染めながら「日本酒が酒造される工程で、洗米し続けて究極の状態になった時、米が青白く光り輝く」と言うのです。要するに精進とは、自分を米に例え置き換えたように、無我夢中、懸命に努力を続けて垢を洗い流していけば必ず光り輝く事ができるのだから仏道精進に怠る事無く励むよう訓育を頂いた事がありました。

また今年も人生に一度しかない時間がスタートします。この一年を一日一日大事に過ごし、見つめるべき事を見つめ考えるべき事を考察し行なうべき事を行って悔いのないよう昼夜常精進を行なっていきたいと思います。今年の大晦日には3人(男性2人女性1人)の信者の方が十年間十回目の水行を達成しました。その精進の志と姿、体験は、以後の自身の人生に持っていく事ができる唯一の宝となり輝く事でしょう。

皆様の年中安泰無難をお祈りします。
今年もどうぞ宜しくお願いします。




写真=身延山高等学校新聞『法灯』より
身延山高等学校Facebook

(下の写真は、このコラムに書かれている住職の御子息でお弟子さんでもある太田雄翔(ゆうと)君の手です。総本山久遠寺での厳しい修行生活によって酷いあかぎれをおこしてしまいます。平成30年1月6日に住職が撮影されたものですが、この時は12月上旬の時よりも少し良くなっていたそうです。しかし現在は、寒中修行が始まり寒い夜間に久遠寺から総門までの距離をうちわ太鼓片手に大きな声でお題目(南無妙法蓮華経)を唱えて往復2時間歩く修行でまた状態は悪化しているそうです。声もかれてしまい喉の痛みもあるとの事です。

 

先日届いた「くらしのニュース」を読んで、太田住職に総本山久遠寺での修行について少し聞いてみました。

太田住職「総本山身延山久遠寺の本院寮では、大人でも辛く本格的で厳しくも尊い修行が行う事ができるが、しかしその志願する者は、毎年ごくわずかな人数しかいません。」

Q.「なぜ雄翔君は、総本山久遠寺で修行しようと思ったのですか?」

太田住職「本人が高校進路を決める時に身延山高等学校を選び、総本山久遠寺に入り修行をしてきたいと言いました。私も久遠寺で修行を6年間(当時最長期間)行っていましたが、とにかく厳しくて逃げ出す者が続出で後が絶えませんでした。しかし総本山は日蓮宗僧侶を志す者にとってこれ以上にふさわしい修行の聖地はありません。
日蓮宗の僧侶の資格をいただくための三十五日の結界に入り修行を行う信行道場という場所での修行が身延山で行われますが、それだけでは不足すぎて駄目なのです。
日蓮大聖人様が9年間お過ごしになられた晩年ご安住の聖地には、未来までも魂は身延山に住んでいると仰せになられた随所であり、身延山の空気、山の聲、川の音、日蓮大聖人様ご在世当時からそびえたつ木々、そこに生きる命の輝き、そうした特別な環境に身を置きながら久遠寺での厳粛な法要、読経を行い、それらすべてのものに長期間にわたって修行をしながら触れ、感じる必要があるのですが建物に籠りっきりの信行道場だけでは全てが不足なのです。
私は、日蓮宗僧侶を志す全ての者は、総本山久遠寺に衣食住を置き修行生活を最低でも3年~5年以上過ごす事を宗門が必須としなければならないと個人的に感じています。総本山久遠寺内で修行を行う学僧のことを在院生=(ざいいんせい)と呼び、本院寮で早朝から夜21時30分まで自由時間が無く修行生活をしながら平日の日中(お昼時間以外)は、学校で勉学に励み生活をします。最長7年間の修行に耐えねばなりません。」とのこと。


現在、雄翔君は16才で新入生です。在院生の修行の厳しさがひしひしと伝わってきます。身延山久遠寺で修行を志したい人は、住職へ相談を持ちかけてみては?)

 

 

(写真は平成30年1月29日に追加しました)

2018年01月01日